コラム

2018.11.12

家紋歴史~家紋の再興を願って~


家紋は平安時代に公家の藤原実季が御所車と呼ばれる牛車に「巴紋」をつけたことから始まったといわれています。当時は宮中に出入りする御所車が多くなり、誰が乗っているのかを判別する目印として使用されました。そして公家の間
で紋を付けることが流行し、その結果「個人の印=家の印」として家紋が広がっていきます。

平安時代末期になると、武家にも家紋が広がり始めます。これは公家から紋を下賜される武家が増えたことに加え、合戦において敵味方を区別する幟(のぼり)から「独自の印=武家紋」が生まれたためです。

戦国時代になると、多くの武家が家紋を持ち、戦場において敵味方を判別する印や、敵を威嚇する戦意高揚の印にもなりました。同時に馬印や陣旗紋、陣幕紋など、多くの紋が考案されたため、それらが家紋になる場合もありました。

江戸時代に入ると、商家が「屋号」として使用する紋が急増します。また歌舞伎役者や大相撲力士、落語家や遊女などの有名人も、それらを真似して手ぬぐいに自分の紋を入れ、ひいき客に配るようになりました。それをきっかけに、江戸の庶民の間にも紋が流行します。はじめはお洒落の一環でしたが、それらが徐々に家紋になったといわれています。

明治時代には、農民や町人をはじめ、国民全員が名字を持つことが法律で制定されます。その結果、各々が「家」のつながりを意識し、それと同時に家紋が各家庭に広がります。また海外の正装・タキシードに対応する衣服として、黒紋付が正装に選ばれたことも、家紋が普及する一因となりました。

第二次世界大戦以後は、戦前・戦中の「家制度」が軍国的、封建的であると批判され、家紋もその対象としてみられました。また戦後は黒紋付などを着用することも少なくなり、家紋は徐々に人々の生活から離れていきました。しかし、現在においては、家紋の歴史やデザイン性の高さ、自分を表現するアイデンティティーのひとつとして、改めて評価され、その意義が見直され始めています。

家紋研究家・森本勇矢

一覧に戻る

PURCHASE

書籍の販売をウェブ上でも受け付けております。