植物紋澤瀉紋
別名「勝軍草」と呼ばれる沢瀉は、その名ゆえに武家に愛された。
中国地方の覇者・毛利家の替え紋としても有名な十大紋。
中国地方の覇者・毛利家の替え紋としても有名な十大紋。
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代表紋
澤瀉
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ステータス
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分布図
由来・解説
武家にこそ相応しい勝軍草
沢瀉は田んぼや湿地、ため池などに自生する植物で、均整の取れた葉と円錐状に白い三弁の可憐な花を咲かせます。
名前の由来としては、沢の瀉(そそぎ)に生えることからという説や、葉が人の顔に見え、葉の面に葉脈が高く隆起していることから「面高(おもだか)」と呼ばれるようになり、「面目が立つ」という語呂に通じるという説もあります。
また別名としては、葉の形が矢の先端部分である鏃(やじり)に似ていることから「勝軍草(かちいくさぐさ)」とも呼ばれます。
文様としては奈良時代から広く用いられており、紋章としては平安末期に車紋や武具などに多く意匠されました。「面目が立つ」「勝軍草」の呼称から、武家に好まれ、各家の家紋として普及していきます。
また戦国時代に中国地方の覇者として君臨した毛利元就は、ある戦に臨んだ際に、勝虫と呼ばれる蜻蛉(とんぼ)が沢瀉に止まっているのを目にし、「勝軍草に勝虫、勝利は疑いなし」と全軍に号令を掛けて戦に勝利しました。そのためこれを記念とし、沢瀉紋を毛利家の替紋にしたといわれています。
また沢瀉紋は十大紋ですが、その使用ランキングは17位です。そもそも十大紋とは、その普及率に加え、名高い家紋の意味も含まれているため、沢瀉紋も選定されたと考えられます。
名前の由来としては、沢の瀉(そそぎ)に生えることからという説や、葉が人の顔に見え、葉の面に葉脈が高く隆起していることから「面高(おもだか)」と呼ばれるようになり、「面目が立つ」という語呂に通じるという説もあります。
また別名としては、葉の形が矢の先端部分である鏃(やじり)に似ていることから「勝軍草(かちいくさぐさ)」とも呼ばれます。
文様としては奈良時代から広く用いられており、紋章としては平安末期に車紋や武具などに多く意匠されました。「面目が立つ」「勝軍草」の呼称から、武家に好まれ、各家の家紋として普及していきます。
また戦国時代に中国地方の覇者として君臨した毛利元就は、ある戦に臨んだ際に、勝虫と呼ばれる蜻蛉(とんぼ)が沢瀉に止まっているのを目にし、「勝軍草に勝虫、勝利は疑いなし」と全軍に号令を掛けて戦に勝利しました。そのためこれを記念とし、沢瀉紋を毛利家の替紋にしたといわれています。
また沢瀉紋は十大紋ですが、その使用ランキングは17位です。そもそも十大紋とは、その普及率に加え、名高い家紋の意味も含まれているため、沢瀉紋も選定されたと考えられます。
澤瀉紋武将
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使用諸家
椎名 梁田 毛利 木下 浅野 酒井 堀越 沢井 水野 土井 福島 etc -
主な有名人
毛利元就(1497年−1571年)【毛利長門澤瀉紋】
水野忠邦(1794年−1851年)【水野澤瀉紋】
- 派生家紋数
- 約76種
- イメージカラー
- 白色
- 検索ヒット数
- 25.1万件
- 家紋使用ランキング
- 17位