器材・建造紋久留子紋
久留子はキリスト教の十字架を意味する。
禁教令以後、家紋の中に十字架を忍ばせるために生み出された紋章。
禁教令以後、家紋の中に十字架を忍ばせるために生み出された紋章。
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代表紋
花久留子
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ステータス
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分布図
由来・解説
隠れキリシタンの拠り所
久留子とはキリスト教の十字架を指し、ポルトガル語のCRUZ(クロウズ)に由来します。
十字架はイエス・キリストの磔刑(たっけい)に使用された刑具と伝えられ、贖罪の犠牲になったキリストの苦難、人類救済のための自己犠牲、罪や死に対する勝利を表すとされ、崇敬の対象となった宗教的象徴です。
日本では戦国時代の雄・織田信長の庇護の下、イエズス会のフランシスコ・ザビエルの布教によりキリスト教が広まります。
しかし、信長の死後、豊臣秀吉、徳川家康はキリスト教を信仰することを禁じます。そのためキリスト教を象徴する十字架も表立って使用することができなくなりました。
そこでキリスト教を信仰していた人々は、家紋の中に十字架を忍ばせることで、自らの信仰を続けようとしました。その結果、生まれたのが久留子紋です。
他にも、紋の中に十字架を見出すことができる「轡紋」や「祇園守紋」、「桛(かせ)紋」、「万字紋」などが、キリスト教を信仰する人々に使用されたといわれています。
分布としては西日本に多く、特に中近世にキリスト教が流行した近畿地方や、長崎、熊本、大分などの九州地方で多く使われています。
十字架はイエス・キリストの磔刑(たっけい)に使用された刑具と伝えられ、贖罪の犠牲になったキリストの苦難、人類救済のための自己犠牲、罪や死に対する勝利を表すとされ、崇敬の対象となった宗教的象徴です。
日本では戦国時代の雄・織田信長の庇護の下、イエズス会のフランシスコ・ザビエルの布教によりキリスト教が広まります。
しかし、信長の死後、豊臣秀吉、徳川家康はキリスト教を信仰することを禁じます。そのためキリスト教を象徴する十字架も表立って使用することができなくなりました。
そこでキリスト教を信仰していた人々は、家紋の中に十字架を忍ばせることで、自らの信仰を続けようとしました。その結果、生まれたのが久留子紋です。
他にも、紋の中に十字架を見出すことができる「轡紋」や「祇園守紋」、「桛(かせ)紋」、「万字紋」などが、キリスト教を信仰する人々に使用されたといわれています。
分布としては西日本に多く、特に中近世にキリスト教が流行した近畿地方や、長崎、熊本、大分などの九州地方で多く使われています。
久留子紋武将
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使用諸家
内田 中川 池田 立花 etc -
主な有名人
小西行長(1555年-1600年)【花久留子紋】
伊庭八郎(1844年-1869年)【丸に枷木久留子紋】
- 派生家紋数
- 約35種
- イメージカラー
- 白茶色
- 検索ヒット数
- 4.2万件
- 家紋使用ランキング
- 62位