器材・建造紋車紋
平安時代、御所車に「印」を付けたことが、家紋の始まりとされている。
車紋は藤原秀郷を源流とする佐藤氏の使用紋としても有名。
車紋は藤原秀郷を源流とする佐藤氏の使用紋としても有名。
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代表紋
源氏車
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ステータス
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分布図
由来・解説
そこのけ、そこのけ、牛車が通る
平安時代に貴族の乗り物であった牛車、通称「御所車(ごしょぐるま)」(別名:源氏車)の車輪を文様化したものが車紋です。
御所車は大まかに分けると三つの部分で構成されます。轅(ながえ)と呼ばれる前方に長く伸びる二本の木、大きな車輪、人が乗る場所の屋形です。
当時は移動速度よりも使用者の権威を示すことが重要視されたため、身分によってより華やかな装飾が求められました。
そのため上皇・摂政・関白などが晴れの舞台で使用する最上級の唐庇車(からひさしのくるま)をはじめ、雨眉車(あままゆのくるま)、檳榔毛車(びろうげのくるま)、糸毛車(いとげのくるま)、半蔀車(はじとみぐるま)、網代車(あじろぐるま)、八葉車(はちようのくるま)と身分や用途によって使い分けがされていました。
また、この御所車に誰が使用しているかを周知させるために「印」を付けたことが、家紋の始まりであるといわれています。
車紋は藤原秀郷を源流とする佐藤氏の使用紋としても有名です。
元を辿れば、当時は御所車を所有することがステータスシンボルであったので、藤原氏の権威付けとして家紋に採用された可能性も高いと考えられています。
分布としては、佐藤姓の分布に重なることが多く、圧倒的に東北地方に多いのが特徴です。
御所車は大まかに分けると三つの部分で構成されます。轅(ながえ)と呼ばれる前方に長く伸びる二本の木、大きな車輪、人が乗る場所の屋形です。
当時は移動速度よりも使用者の権威を示すことが重要視されたため、身分によってより華やかな装飾が求められました。
そのため上皇・摂政・関白などが晴れの舞台で使用する最上級の唐庇車(からひさしのくるま)をはじめ、雨眉車(あままゆのくるま)、檳榔毛車(びろうげのくるま)、糸毛車(いとげのくるま)、半蔀車(はじとみぐるま)、網代車(あじろぐるま)、八葉車(はちようのくるま)と身分や用途によって使い分けがされていました。
また、この御所車に誰が使用しているかを周知させるために「印」を付けたことが、家紋の始まりであるといわれています。
車紋は藤原秀郷を源流とする佐藤氏の使用紋としても有名です。
元を辿れば、当時は御所車を所有することがステータスシンボルであったので、藤原氏の権威付けとして家紋に採用された可能性も高いと考えられています。
分布としては、佐藤姓の分布に重なることが多く、圧倒的に東北地方に多いのが特徴です。
車紋武将
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使用諸家
佐藤 榊原 生駒 三宅 橘 千田 中川 中村 由田 久留 竹内 川村 etc -
主な有名人
中川清秀(1542年−1583年)【中川車紋】
榊原康政(1548年−1606年)【榊原車紋】
- 派生家紋数
- 約45種
- イメージカラー
- 黒色
- 検索ヒット数
- 76万件
- 家紋使用ランキング
- 28位