植物紋茶の實紋
十大紋のひとつ「橘紋」の派生や変化形ともいわれるほど、非常によく似た紋章。
千姓の使用が多く、茶道に関わる家で用いられたと考えられる。
千姓の使用が多く、茶道に関わる家で用いられたと考えられる。
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代表紋
一つ茶の實
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ステータス
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分布図
由来・解説
長寿効果を祈念した贈り物
茶の実紋は十大紋のひとつである「橘紋」に非常によく似ており、その派生、転化ともいわれています。
背後に三枚の葉があると「橘紋」、背後に葉がなければ茶の実紋です。また茶の実紋は実の先が三つに分かれているのも特徴です。
お茶は平安時代に薬として遣唐使によってもたらされたといわれています。しかし、当時のお茶は非常に高価な飲み物で、日常的に飲むものではありませんでした。病気の際に解毒剤として用いられたり、高貴な方への長寿効果を祈願した贈り物として使われていたようです。
室町時代になると、飲んだ茶の銘柄を当てる闘茶が流行します。しかし、博打要素が強く、多くの者が財産を失う事態となり、幕府によって闘茶は禁止されることになります。応仁の乱以降は、闘茶自体が次第に廃れ、徐々に亭主と客との精神交流を重視する茶の湯が生まれていきました。
その後、安土桃山時代に千利休が「わび茶」を完成させ、現在に続くお茶文化が始まったといわれています。
家紋としては、薬としての霊妙な作用、長寿効果などにあやかって、江戸時代以降に使用されるようになります。その他にも、千姓の使用が多いことから、茶道に関わる人々によって用いられたと考えられています。
背後に三枚の葉があると「橘紋」、背後に葉がなければ茶の実紋です。また茶の実紋は実の先が三つに分かれているのも特徴です。
お茶は平安時代に薬として遣唐使によってもたらされたといわれています。しかし、当時のお茶は非常に高価な飲み物で、日常的に飲むものではありませんでした。病気の際に解毒剤として用いられたり、高貴な方への長寿効果を祈願した贈り物として使われていたようです。
室町時代になると、飲んだ茶の銘柄を当てる闘茶が流行します。しかし、博打要素が強く、多くの者が財産を失う事態となり、幕府によって闘茶は禁止されることになります。応仁の乱以降は、闘茶自体が次第に廃れ、徐々に亭主と客との精神交流を重視する茶の湯が生まれていきました。
その後、安土桃山時代に千利休が「わび茶」を完成させ、現在に続くお茶文化が始まったといわれています。
家紋としては、薬としての霊妙な作用、長寿効果などにあやかって、江戸時代以降に使用されるようになります。その他にも、千姓の使用が多いことから、茶道に関わる人々によって用いられたと考えられています。
茶の實紋武将
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使用諸家
橘 千 土田 津田 鵜飼 伴 氏家 久方 村山 漆原 塚本 茶谷 細山 etc -
主な有名人
芳賀矢一(1867年−1927年)【丸に茶の實紋】
柳川春葉(1877年−1918年)【隅切り角に違い茶の實紋】
- 派生家紋数
- 約40種
- イメージカラー
- 茶色
- 検索ヒット数
- 132万件
- 家紋使用ランキング
- 48位