器材・建造紋分銅紋
不正を防ぐため、御用達彫金師であった後藤四郎兵衛家のみに制作が許された。
形が面白いことに加え、正確さを表すことから、商人に愛され家紋として用いられた。
形が面白いことに加え、正確さを表すことから、商人に愛され家紋として用いられた。
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代表紋
分銅
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ステータス
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分布図
由来・解説
正確性を象徴し、商人に愛された紋
分銅は天秤を用いてものの重さを量るときの基準となる重りです。古来より世界中で用いられ、日本でも大阪府の亀井遺跡から約二千四百年前に使用されていた石の重りが発掘されています。
中世には金や銀などを正確に量るのと同時に、市場の経済安定のために、分銅の勝手な制作を厳しく制限していました。
分銅を製作することができたのは、室町から江戸時代にかけて御用達彫金師であった後藤四郎兵衛家だけであり、他に許されたということはありません。
この分銅は後藤分銅と呼ばれ、瓢箪型に近い形をしており、蚕の繭を模ったものといわれています。一六六五年に統一されて以来、幕末までの二百年以上にわたって均質性が保たれていました。
家紋としては、比較的新しいもので、後藤分銅の形を球形にデフォルメした形が特徴です。その形状が面白いことに加えて、正確さを表すこと、財宝を意味することから、商人などに愛され家紋として用いられるようになりました。
分布を確認すると、天下の台所であり、商人の町でもあった大阪をはじめ、兵庫県、徳島県、福岡県などで多くみられます。
中世には金や銀などを正確に量るのと同時に、市場の経済安定のために、分銅の勝手な制作を厳しく制限していました。
分銅を製作することができたのは、室町から江戸時代にかけて御用達彫金師であった後藤四郎兵衛家だけであり、他に許されたということはありません。
この分銅は後藤分銅と呼ばれ、瓢箪型に近い形をしており、蚕の繭を模ったものといわれています。一六六五年に統一されて以来、幕末までの二百年以上にわたって均質性が保たれていました。
家紋としては、比較的新しいもので、後藤分銅の形を球形にデフォルメした形が特徴です。その形状が面白いことに加えて、正確さを表すこと、財宝を意味することから、商人などに愛され家紋として用いられるようになりました。
分布を確認すると、天下の台所であり、商人の町でもあった大阪をはじめ、兵庫県、徳島県、福岡県などで多くみられます。
分銅紋武将
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使用諸家
堀尾 松平 近藤 二木 石橋 大貫 計良 etc -
主な有名人
岩野泡鳴(1873年−1920年)【鉄砲隅入り角に丸に分銅紋】
岩田宙造(1875年−1966年)【分銅紋】
- 派生家紋数
- 約34種
- イメージカラー
- 鉄色
- 検索ヒット数
- 156万件
- 家紋使用ランキング
- 63位