植物紋桐紋
桐は瑞鳥である鳳凰が止まるとされる樹木であり、天子・天皇家の象徴。
現在でも日本政府の紋章として五七桐が用いられる。
現在でも日本政府の紋章として五七桐が用いられる。
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代表紋
五七桐
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ステータス
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分布図
由来・解説
鳳凰が羽を休める高貴な存在
十大紋に数えられる桐紋は、天皇家の替紋・皇后の紋と呼ばれる格式の高い紋です。桐紋は一般的に白桐をモチーフにした紋章と思われていますが、実際は東南アジア原産の梧桐(あおぎり)を図案化した紋章です。
古代中国において瑞鳥とされた鳳凰は、霊泉の水だけを飲み、60~120年に一度だけ実を結ぶという竹の実だけを食べ、梧桐にしか止まらないといわれていました。そこから鳳凰が羽を休める桐は中国の君主である天子の象徴となり、その思想が日本にも受け継がれていきます。
しかし、当時の日本には梧桐が存在せず、梧桐を白桐として描かれたのが、混同される原因となりました。
一説によると嵯峨天皇の頃には、御衣に「桐・竹・鳳凰」の文様が用いられ、やがて桐紋は皇室の紋章として鎌倉時代末期までには定着したといわれています。武家にとって桐紋は皇室から下賜されるものであり、室町時代から安土桃山時代までに世に認められる武功があった証明でもありました。特に豊臣秀吉が下賜された紋を多用したため、桐紋の認知度が高まったと考えられています。
現在でも日本国政府の紋章は「五七桐」であり、それに敬意を払って花びらを減らした「五三桐」が一般にも広く普及しています。
古代中国において瑞鳥とされた鳳凰は、霊泉の水だけを飲み、60~120年に一度だけ実を結ぶという竹の実だけを食べ、梧桐にしか止まらないといわれていました。そこから鳳凰が羽を休める桐は中国の君主である天子の象徴となり、その思想が日本にも受け継がれていきます。
しかし、当時の日本には梧桐が存在せず、梧桐を白桐として描かれたのが、混同される原因となりました。
一説によると嵯峨天皇の頃には、御衣に「桐・竹・鳳凰」の文様が用いられ、やがて桐紋は皇室の紋章として鎌倉時代末期までには定着したといわれています。武家にとって桐紋は皇室から下賜されるものであり、室町時代から安土桃山時代までに世に認められる武功があった証明でもありました。特に豊臣秀吉が下賜された紋を多用したため、桐紋の認知度が高まったと考えられています。
現在でも日本国政府の紋章は「五七桐」であり、それに敬意を払って花びらを減らした「五三桐」が一般にも広く普及しています。
桐紋武将
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使用諸家
皇室 大矢野 足利 大江田 豊臣 水無瀬 七条 町尻 桜井 山井 etc -
主な有名人
豊臣秀吉(1537年−1598年)【太閤桐紋】
円山応挙(1733年−1795年)【五七桐紋】
- 派生家紋数
- 約145種
- イメージカラー
- 黄白色
- 検索ヒット数
- 463万件
- 家紋使用ランキング
- 6位